私が入学した筑波大学柔道部世代は、そこからオリンピック選手が3-4人出るような、そのくらい能力的に高い世代と、たまたま同時期に大学生活を共にすることができたんです。
まず、大学に入学した瞬間、スポーツ推薦で入部した選手たちのなかで揉まれたときに、
自分の夢ってはるかずっと先のものだったんだなって。俺は甘かったっていう現実を一瞬にして突きつけられました。
自分も本当に夢として、オリンピックに出るんだっというものはあったのですが、本当にそのレベルの人たちと一緒に練習したときに、これはもう4年間、5年間の努力で穴を埋められるような差じゃないなって、なんか感じ取ってしまったんですよね。
柔道の世界で、インターハイチャンピオンとか、全中優勝する人たちって本当に物凄いんです。私もインターハイに出場経験はありましたが、でもそこで一位になるレベルって、もう雲の上の存在というか。なんていうか、全然違くて。
大学ではそんなトップレベルの選手たちに揉まれた。そして、そんな選手たちから感じたのは、本当にトップを目指す人って、考えていることもやっていることも異常だなって。自分もそこそこ普通ではないと思ってはいたけど、今までの色々なことが覆されるくらい、私は正統派だったんだなって。
自分の夢は夢だったんだなって。現実を思い知らされた瞬間でした。
一人の先輩との出会いが大きく影響しました。
打ち込みパートナーとして、自分を指名してくれた金丸雄介先輩との出会いです。(後に、北京オリンピック日本代表、2012年全日本男子コーチ)
既に有名で憧れの存在として知っていた金丸先輩に、まさか突然自分がパートナーご指名を受けたのです。本当にまさか、でしたね。
そこから練習相手をさせていただく中で、自分がオリンピックにというより、自分より限りなく日本代表に近い位置にいる金丸先輩を絶対にオリンピックに出場させるって想いが強くなりました。
金丸先輩が代表に選ばれることが、自分の夢を叶えてくれることなんだとも思って、自分のなかでスイッチが切り変わりました。
自分ももちろん競技も続けていましたが、金丸先輩をオリンピック出場に向けて自分ができることを全力でサポートしていく、これが自分の目標となったのです。
しかし、この経験が、後に横山さんが形の世界チャンピオンとなる土台になったということですね。
そうなんです。
金丸先輩のパートナーとして練習相手になる。そうなると、私は受けを徹底的に勉強しなければならない。でもその受けが、自分にはすごくマッチしていたんですね。
大学時代で受けが徹底的に鍛えられ、受けとしての評価がどんどん高まっていった。
そして形の選手としてトレーニングを重ね、世界で優勝できるまでになったんです。ほんと不思議ですよね。
何より、幼少期からの自分の夢はオリンピックというものでしたが、柔道の形競技はオリンピック種目にはないものの、幸いにも今回の東京オリンピックで「形演舞」ということで畳に上がることができ、オリンピックの舞台を経験させていただきました。
なんか、長年描き続けた夢が、こんな形で叶うんだなって。
これまでの色んな経験や感情が思い起こされ、あのとき辞めなくてよかったなって。
今までの頑張りが報われたような、そんな瞬間でした。