Episode.1

幼少期時代

iida
本日はよろしくお願いします!まずは自己紹介をお願いします。
アルバルク東京の菊地祥平です。
山形県山形市出身です。地元の小学・中学を経て高校は日大山形へ進み、日本大学へ。大学卒業後は東芝のバスケ部で約6年間プレーをしました。2013年からは現在のアルバルク東京に在籍し、約9年ですね。アルバルク東京には2022年6月までの在籍となりますので、現在は次の移籍先を探している状況です。
(※2022年6月15日取材時時点。公式での発表のとおり、2022-2023年シーズンは越谷アルファーズへの移籍が決定しました)

菊地選手

今日は懐かしい話がいっぱい聞けるのかなと楽しみにしていました。よろしくお願いします!笑

(※菊地選手は地元の同級生であり、幼少期からバスケットを通じて活躍を応援してきた選手です。
インタビュー内容はできる限りリアルな声でお届けしたい為、今回はあえて話し言葉のまま掲載させていただいている点を予めご了承くださいませ)

幼少期時代

では早速ですが、幼少期時代から色々伺っていきたいと思います。
元々バスケを始めたきっかけは何でしたか?
兄が二人いてバスケをしていて。ありきたりな話だけど、その兄の後について練習している体育館の横でいつも遊んでる感じだったね。小学1年生くらいからか、自然にバスケットボールに触れてその流れで。正式に入部したのは小学3年のとき。田舎だったし、そんなにスポーツが色々選べる環境でもなかったしね。バスケかバレーボールかみたいな。両親はバレーボールだったから、やってほしい願いはあったと思うけど、バスケだったね。
幼少期はバスケだけやっていた?それとも他のスポーツもしていた?
あとは水泳もやってたね。水泳も結構得意で、学校の大会とか県大会とか出場するレベルで。でも何かの大会のときにバスケと水泳の大会が重なってしまって、どうしようってなって。それでそのときバスケの方を選んだんだよね。理由は・・・仲良い友達がバスケの子が多かったからかな。笑 その程度で。もしそれが違っていたら水泳やっていたかもしれないよね。笑
小学校(ミニバス)時代の思い出は?
小学校のころはやっぱただただバスケしているのが楽しかった。教えてくれるのも保護者コーチですごく優しくて。練習がない日も自然と仲間と集まってどこかでいつもバスケするみたいな、四六時中バスケしてる、そんな感じだったかなぁ。
そんな風にいつも自分たちでバスケをするって、振り返ると何がそうさせていたと感じますか?
今は情報も色々得られるし、知識量も多いから、それを見たり学んだりして、「より強くしたい」「上手くしたい」ってなればなるほど練習量が増えていってしまう。子供たちもたくさんやる傾向になっているけど…。これは個人的な考えだけど、子供にはちょっと物足りないくらいで終わるくらいが丁度いいんじゃないかなって思う。まだやりたい、もっとやりたいって駆り立てられるみたいな。自分たちもそういう気持ちが常々あったのかなって思うよね。
自立に繋がる環境とはどんなものだと思いますか?
「与えられすぎない環境」なのかも。
今はYouTubeとかで色々な知識や情報が溢れている時代だから、ほしい情報がすぐ取れちゃう。親もそこで色々学んだりして、それを全部が全部、子供に吸収させるっていうのはやっぱり難しいって思うし、与えすぎもよくないんじゃないかなって。自分の経験上、与えられすぎず自ら考える機会と時間があったことはすごく重要だったと感じてる。
中学時代の環境はどうでしたか?
中学3年のとき、ほとんどバスケを知らない先生が顧問になって。もちろんすごく勉強してくれてはいたけど、やっぱり知識としてはそこまでだったから、その当時は、自分たちで練習内容を考えたり、試合中も自分たちで考えて意見出して決めることが多かったんだよね。成績は小学時代は全国出場したけど、中学時代は県大会1回戦負け。
結果は出なかったけれど、でもこのときの「バスケを自分で考える」機会っていうのは、その先の自分にとってすごくプラスなことだったんだなって今になって改めて思う。
県大会1回戦負けは相当悔しかったよね、きっと。
そりゃあもう、負けたときは相当だよね。もちろん本気で優勝目指してやっていたし勝つつもりでいったから。でもその結果を受けて、そこで感じたのは、やっぱり自分じゃどうしようもないことってあるんだなって。もっとバスケを学びたいというか、そういう指導者の下でやってみたい気持ちが芽生えた経験だった。
それが高校選びにも影響した?
やっぱり考えたよね。中学卒業前に県でトップの強豪高校2校から推薦の話が来ていて。それぞれの高校の監督さんの話が違ったんだ。一つの高校の監督は「全国レベルで見たら、お前はけして大きくない」って。当時、ポジションは4番(パワーフォワード)をやりながら少し3番(スモールフォワード)もやる感じだったけど、将来のことを考えたら高校では3番をやっていかないと通用しないよって言われて。でももう一つの高校の監督はそのまま自分を4番で使いたいと。
そんな話を受けて、やっぱり今より先を見越して考えてくれていると感じた高校に決めたんだよね。あのとき、そのまま現状に満足してその時の成功だけを考えていたら、確実に今ここにいないしプロ入りは無理だったと思う。将来性を考え育ててくれた監督のもとでやれたのは本当にありがたかったなって思ってる。
そんなエピソードがあったんだね。
ご両親はどうでしたか?関わり方や想いはどのように受け止めていた?
やっぱりチームが強くなればなるほど、各家庭の子供にかける期待とか熱意も強くなるというか。色々な考えがあって、それがぶつかり合ったりしてそういうのが大変だったみたい。特に自分の場合は、先輩の学年で試合に出してもらったりしていていたから、親としてもより周りに気を遣っていたというか。子供に良くない影響を与えないようにって、すごく気を配ってくれていたみたいだね。当時は分からなかったけれど、すごく頑張ってくれていたんだなって思う。
両親からの期待感とか感じすぎたりすることはなかった?
両親はバスケのことは分からなかったけれど、両親ともにめちゃくちゃ勉強しているのはその当時から気づいていた。本とか買って、一生懸命勉強してたよね。でも自分のプレー、バスケに関して何か言われるとかはなかったね。まあ本音は色々言いたいんだろうけど、ただ毎試合見に来て、応援席の最前列でめちゃくちゃ声だして応援してるっていうそんな感じだった。笑
プレーを色々言われていたら、知らないだろって、もしかしたら腹が立って対立していたかもしれないけど、ほんとただいつも来て全力で応援してくれてるのを見てたから、がんばんなきゃなって思ってたよね。
余談だけどさ、祥平くんのお父さん、高校のとき女子の会場にも応援も来てくれていたこともあったよ!笑
笑!それこそ小学時代から知っているからね。ほんと純粋に応援したい気持ちがあるんだと思う。笑
キャプテンをずっとやっていた印象はあるけど、実際、性格はどんなタイプだった?
キャプテンはやってたね。性格は…でもまあ圧倒的な「負けず嫌い」はあったよね。笑
公式戦でも練習試合でも負けたら悔しくて泣くみたいな。それこそ、審判にも負けたくないの!笑
試合で、自分は絶対チャージング(相手のオフェンスファール)だと思ったのに、審判にブロッキング(自分のディフェンスファール)を吹かれて。そういうのにもめちゃくちゃ悔しくて。試合中にちょっと泣いてたよね。笑
1対1とかも絶対やられたくない。小学生の頃はけして一番上手かったわけじゃなくて、もっと自分より大きくて動ける人がいたり、中学生の最初の頃はそれこそ先輩の方が上手いから。でも、とりあえず誰にも負けたくない!みたいな。だから必ず自分より上手い人見つけて、とりあえずその人を追い越す。自分の中で追い越したと思ったら、また違う人見つけてみたいな。それをずっと続けていったら一番上手くなるだろうってスタンスでやってたかな。
やはりその性格は兄弟環境が大きかった?
兄の存在は大きかったよね。でもそこはなかなか越えられなかったから、だからまずその間にいる人たち抜いていけばいつかみたいな。
なぜか、目指す人のことも「こういう人みたいに」っていうのは思わなくて、そしたらそこ止まりになっちゃうから、だからその人はココが上手いんだったら、自分は違う方向の得意技を見つけて「絶対その人を超えてやる」って気持ちになる。自然とあまり人と被らないようにして上手くなりたいっては常々思っていたかな。
なるほどね。
ちなみに幼少期に運動能力や思考力を高められた環境ややってきたことなどあったら教えてください。

ゲームとか漫画とかはあまり買ってもらえなかったんだよね。笑  だから必然的に外遊びは多かったんだと思う。
思考力に関しては、やっぱり今ほど情報がないから、その答えを探すために自分で考える機会は多かったんだろうね、きっと。YouTubeもないし、バスケに特化した本も月バスくらいでさ。

分からないからこそ、友達とじゃあそうしてみよう、ああしてみようとかやりながらこれ違うくない?じゃあこうしてみよう、ってみんなでやりながら自分たちの正解を見つけていくというか。
情報がない分、対人でじゃあやってみようって実践できたのがいい環境だったんだなって今聞かれて思ったね。

試行錯誤しながら友達との実践で身につけた感じなんだね。
うん。これは個人的な考えというか印象だけど、自分のなかでは試合で使えるスキルと、使えないスキルっていうのがあると思っていて。これは合ってるか分からないよ、個人の印象だから。

今の子供たちって何となく、実践でそれ使える?っていう、実践的なスキルじゃない方を見ちゃう傾向があるのかなぁって。基礎という土台があるからこそ、それが活きるんだよ、土台があるから上手く見えるんだよっていうのと、そこだけやってもそこがなかったら、それ使えないよっていうスキルがあるから。
もちろん格好良さとか興味、ワクワクの部分も大事だけど、大切なこととのバランスというか、それは周りの大人の見定めも大事なのかなって感じるかな。
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