柔道 形競技 世界大会チャンピオン / 横山 喬之(よこやまたかゆき)

横山 喬之(よこやまたかゆき) 9歳から柔道を始め、小学6年生では全国大会に出場する。新潟第一高等学校から筑波大学体育専門学群へ進学。卒業後は、ギリシャでの柔道指導経験を経て、筑波大学大学院へ進学する。アメリカとレバノンでの柔道指導経験を経て、2010年より摂南大学に勤務。2011年、ドイツで行われた世界柔道形選手権・投の形で優勝。これまで合計7回の世界選手権制覇を達成した。現在、摂南大学 学生部 スポーツ振興センター 講師、柔道部監督。

小学校の卒業文集に書いた「柔道でオリンピックに出ること」
大きな挫折や葛藤を経て、地道な努力を重ねた結果、

2021年、思わぬ形で夢が叶った。
そこには、運をつかむために日々の努力と、目の前のことを
いかに価値あるものにできるかにへの変換が大事だったと語る横山氏。
柔道で世界大会形競技、7回の優勝経験を持つ、横山喬之さんに、

幼少期の過ごし方や、ターニングポイント、夢を叶えるまでの軌跡を伺った。

横山さん、本日はよろしくお願いします!
まずは、これまでのご経歴を教えてください


横山喬之(よこやまたかゆき)です。現職は大学教員で、今は大阪にある摂南大学で体育教員をやっています。現在38歳、生まれは新潟県です。柔道が専門競技で、今年で30年を迎えました。2010年から柔道の形競技として大会へ出場することになり、これまで世界選手権で7回チャンピオンになることができました。アジアでも2回、国内大会では9回優勝しました。
形競技は、技をかける側、技を受ける側で成り立ちますが、私は「受け身を取る側」の役割です。

柔道の「形競技」とは、私たちがオリンピックなどで目にする柔道とはまた違う競技ということですよね?

そうですね、一般的に皆さんが、柔道といえばのイメージが強い「戦いの柔道」は「乱取(らんどり)」と言われるもので、時間内に自由に技を掛け合い勝負を競うもの。私が行っている「形競技」は、技の掛け手と受け手が決まっていて、二人一組ペアで、決められた手順のもとに技を順番に披露していきます。正確さ且つ美しさ、その場の立ち振る舞い全てなどが総合的に採点されて点数を競い合うものになります。私も元々オリンピックを目指して乱取の競技を行ってきましたが、形競技の盛り上がりや、恩師からのすすめもあり、2010年から正式に形競技へとシフトすることになりました。

柔道という競技の魅力を教えてください。

競技人口で見ると他の人気スポーツと比べてけして多くはありませんが、日本の柔道家はオリンピックでも見るように世界の上位に食い込む力があり、育成のカリキュラムも世界トップレベルのコーチングや指導法が確立されています。日本でトップレベルの選手になれれば、世界で戦える素養はおのずと築ける点が柔道の一つと魅力だと思います。
また、形競技は「生涯柔道」としての主旨もあるので、そういう意味では人生を通して柔道という競技を楽しめるのも魅力ですね。

柔道との出会い

横山さんの柔道との出会いについて教えてください。

柔道家だった祖父の影響が強かったです。子供ながらに祖父は厳しく、怖い存在の人でした。笑。「目を見て話なさい」とかそういうこと常々言われていましたね。そんな祖父のすすめと、友達が柔道を習っていたこと、そして近所に練習場があり、もうやらない理由がないというか、すぐにでも始められる環境があり、それでですね。

iida

横山さん、本日はよろしくお願いします!
まずは、これまでのご経歴を教えてください。

横山喬之(よこやまたかゆき)です。現職は大学教員で、今は大阪にある摂南大学で体育教員をやっています。現在38歳、生まれは新潟県です。柔道が専門競技で、今年で30年を迎えました。2010年から柔道の形競技として大会へ出場することになり、これまで世界選手権で7回チャンピオンになることができました。アジアでも2回、国内大会では9回優勝しました。
形競技は、技をかける側、技を受ける側で成り立ちますが、私は「受け身を取る側」の役割です。

柔道の「形競技」とは、私たちがオリンピックなどで目にする柔道とはまた違う競技ということですよね?

そうですね、一般的に皆さんが、柔道といえばのイメージが強い「戦いの柔道」は「乱取(らんどり)」と言われるもので、時間内に自由に技を掛け合い勝負を競うもの。私が行っている「形競技」は、技の掛け手と受け手が決まっていて、二人一組ペアで、決められた手順のもとに技を順番に披露していきます。正確さ且つ美しさ、その場の立ち振る舞い全てなどが総合的に採点されて点数を競い合うものになります。私も元々オリンピックを目指して乱取の競技を行ってきましたが、形競技の盛り上がりや、恩師からのすすめもあり、2010年から正式に形競技へとシフトすることになりました。

柔道という競技の魅力を教えてください。

競技人口で見ると他の人気スポーツと比べてけして多くはありませんが、日本の柔道家はオリンピックでも見るように世界の上位に食い込む力があり、育成のカリキュラムも世界トップレベルのコーチングや指導法が確立されています。日本でトップレベルの選手になれれば、世界で戦える素養はおのずと築ける点が柔道の一つと魅力だと思います。
また、形競技は「生涯柔道」としての主旨もあるので、そういう意味では人生を通して柔道という競技を楽しめるのも魅力ですね。

柔道との出会い

横山さんの柔道との出会いについて教えてください。

柔道家だった祖父の影響が強かったです。子供ながらに祖父は厳しく、怖い存在の人でした。笑。「目を見て話なさい」とかそういうこと常々言われていましたね。そんな祖父のすすめと、友達が柔道を習っていたこと、そして近所に練習場があり、もうやらない理由がないというか、すぐにでも始められる環境があり、それでですね。

どのように厳しかったのでしょうか?

柔道に関しては、毎週トレーニングメニューを渡されて練習するように言われていました。でも私はその日はやるけど、次の日から全くやらないで、でも祖父には「ちゃんとやったよ」と報告しているような、そんなダメな子でした。笑
全然、柔道に対して自分が努力して何とかしようっていう気持ちが、祖父が生きている頃に何もなくて。それが今振り返ると、やっぱダメだったな、もっとやっておけば変わってたなっていう想いは実際あります。

自分を想う気持ちを感じたことはありましたか?

はい。いつも最後の最後は私の考えを尊重してくれていましたね。
練習に連れ出されはするのですが、「疲れたか?よし帰ろう」みたいな面もあったりして、無理に強制されることはなかったですし、泣きながら練習みたいな厳しさも一切なかったです。

思い出のエピソードはありますか?

一つ、好き嫌いについてのエピソードがあります。祖父は戦争を経験していて、当時、全滅と言われた部隊から、自力で奇跡的に生還するような、そんな人でした。
そのような経験からか、私が祖父の家に行ったとき、鶏肉が嫌いで食べなかった私を見て、祖父のスイッチが入ってしまった。「俺が戦争のときは、食べないやつから死んでいった」と。
「食べ物に好き嫌いなんてするもんじゃない」というのを実体験をもとに聞かされていましたね。
祖父は柔道で全国優勝する実力を持っていたので、本当に努力した人だったのだと思います。そしてそんな風に私にもなってほしいという願いがあったのだと思います。

忘れられない思い出

幼少期時代は柔道に積極的ではなかったと伺いましたが、この気持ちは続きましたか?
何か変わるきっかけなどはありましたか?

はい、小学5年のときに、ターニングポイントとなる出来事がありました。
一つは成績で、小学時代、県で初めて入賞できた。2位ではありましたが、チームとしては大きな快挙で、自分自身も活躍できたのもあり、本当に嬉しかった!チーム関係者みんなで本当に盛り上がった試合でした。
そして更に衝撃だったのが、その後の祝勝会のこと。
もう、みんな嬉しくて!親も監督も、もちろん子供達も。
みんなで夜飲みに行くぞ!みたいな感じになったんです。そして、地元の居酒屋にみんなで行って、小学生ながらそこに呼ばれて、みんなでわいわいするっていうのが、めちゃくちゃ最高に楽しくて!
そこの輪に呼ばれて、大人たちに食え食えって言われて、また友達と遊んで、そしてまた呼ばれて、みたいな。笑 なんか目に写る世界といったら大袈裟かもしれませんが、こんなチームメイトとワイワイできるし、親はなんかすっごい喜んでるし、最高に楽しかったですね。あのときのみんなの笑顔と、自分の衝撃が忘れられない。
この出来事がが当時の自分にとってほんと大きくて、気持ちが入るきっかけにもなり、柔道がんばろうって前向きに取り組めるようになりました。これが小5の夏くらいの話ですね。

柔道での夢はいつ頃から持たれていましたか?

小学の卒業文集に柔道のことを1ページ書いています。
「6年生のときに全国大会に出場できた。これからも柔道続けてオリンピックや世界選手権に出れるような選手になりたいです」って書いてるんですよね。
小学6年のとき、その道場初の全国大会出場の切符を手に入れたんですよ。今思えばまだ憧れの気持ちが強かったと思いますが、その頃から大舞台での夢を描いてましたね。小学校最後に実力も結果もついてきて、ようやく自分なりに柔道一生懸命やる理由ができてきた感じです。

成長の過程で精神面など自分自身の変化を感じたことは?

幼少期は活発なタイプで、周りを気にしない、空気を読まない、自分大好きタイプでした。笑。雪降っていてもいつも半袖短パン、裸足でいいるみたいな、そんな子で。誰に何て言われても全然気にしない感じで。
それが小学5年生くらいで初めて、あれ?って、何か人とのギャップを感じはじめたんですよね。本当は半袖着たいけど、長袖着ようか、みたいな。笑。何となく人目を気にするようになりました。これは何かきっかけというより、成長と共にだと思います。
そこから協調性も学んではいくのですが、でも柔道が強かったので、まぁ生意気だったんですよ。でもそんな感じで小学校から中学校にあがり、やっぱりそこで色々社会を知るわけです。
先輩にタメ口きいて、弱い先輩に対してちょっかい出したりしてたら嫌われるんですよね。それで、今まで自分のやってきたことが失礼に値したんだなって反省して。先輩にも謝り、人に対しての接し方っていうのを経験しながら、徐々に学んでいきました。

ご両親の柔道への関わりはいかがでしたか?

両親とも柔道未経験だったので、指導に関しては先生にお任せでしたが、ただ一つ軸としては、「やめたいとか、行きたくない」っていうことに関してはすごく厳しかった。最後までやり遂げる、ということに関しては、いつも厳しく言われていました。
柔道の試合を見に来ることもありましたが、どんな結果であれ、ひとまず「今日もよく頑張ったね」っていう迎え入れ方をしてくれたので有り難かったです。

感情は出やすいタイプでしたか?

幼稚園、小学校時代は感情が出まくってました。
特に同級生や下級生に投げられたときが、一番悔しくて。練習終わり頃に30%泣いてて、家に帰って100%泣く、みたいな。全然平気ではいれなかったです。
小学生の試合とかを見ていると、投げられるとやはり同じような表情をしていますね。声をかけてあげたら、今にも泣きそうな表情。上を目指して頑張っている子なら尚更、平気ではないと思います。

感情はどのような対処をされていた?

家に帰って思いっきり泣いて。でもそこには家族がいるんで。「次、頑張ったらいいんだよ」ってそういう慰めの言葉があるから、また次頑張ろうって立ち直ってましたね。まあ泣くとスッキリしちゃうんで。思いっきり泣いて、切り替えて。次を迎えるっていう感じでした。

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